デュシャンは美術におけるニーチェ

 
 
 

右脳の現代美術/左脳の現代思想 -駆け出し哲学日記①

どうして、「美術」は「現代美術」という難解なものになったのか?また「哲学」もどういう経緯を経て難解な「現代思想」になっていったのか、を考えていくとそこにはデュシャンニーチェという2大巨人が果たした大転換があるような気がします。

とても大ざっぱに言うと、デュシャンの「泉」による「美術」という概念の破壊?と、ニーチェの「神は死んだ」による哲学的な真理は無い、という転換によって、「美術」は相対的で多様化された「現代美術」へと発展し、「哲学」もまた相対化された「現代思想」へと発展してきたのではないか。

そのため、今の「現代美術」にかつての「美術」的な答えを求めたり、今の「現代思想」にかつての「哲学」的な答えを求めることはもはや難しく、「美術」と「現代美術」、「哲学」と「現代思想」の間には大きな隔たりがあり、そのため「現代美術」や「現代思想」は難解と思われるのではないかと感じています。

また、「現代美術」と「現代思想」はシュールレアリズムとフロイトの無意識のように右脳(表現)と左脳(言語)のように密接に関係しているのではないかとも感じています。